沿革

昭和26年(1951)
盛岡精神病院開設
平成17年(2005)
盛岡精神病院閉院
平成17年(2005)
盛岡観山荘病院開設
平成22年(2010)
医療法人みやま会盛岡観山荘病院
平成25年(2013)
社会医療法人みやま会盛岡観山荘病院
盛岡観山荘病院 外観

開設者 小泉八郎の精神「郷土に光りを‥」

 盛岡観山荘病院(前盛岡精神病院)は、岩手県出身で東京帝国大学法学部卒業後、当時の同盟通信外信部に勤務していた小泉八郎氏により昭和26年(1951)に開設されました。戦後の混乱と貧困による大変厳しい社会情勢のなかで精神を病む人が多くいることに心を痛め、「何とか郷土に光りを」との思いが盛岡精神病院開設に向かわせました。同県人であった田子一民氏(元衆議院議長)からのご賛同・ご指導もあり、田子一民氏の別荘である観山荘をお譲り頂き、当時の岩手県知事・国分謙吉氏より『盛岡精神病院』の名称を賜りました。この地に精神科病院を開設した後、地域社会への貢献に心血を注いできましたが、昭和50年1月11日、60歳で志半ばに世を去りました。
 日本医科大学精神医学教室に在籍していた小泉八郎氏の長男小泉博氏がその志を受け継ぎ盛岡精神病院長に就任致しました。これ以後、岩手医科大学神経精神科学講座にも在籍し数多くのご援助を頂きました。小泉博氏は、昭和57年(1982)に小泉八郎氏の旧病院の新築事業を竣工させましたが、このときの病棟が現在の盛岡観山荘病院です。新築病棟は、小泉博院長のライフワークであった「精神科病棟におけるソシオメトリー」に則った開放的な病棟という、当時としては画期的な明るく開けた病棟であり、多数の見学者をお迎えした病院構成でありました。このように粛々と精神科医療に邁進しておりましたが、小泉博院長も平成17年5月28日(2005)、志半ばの62歳で斃れました。個人病院であった盛岡精神病院は同日付けで廃院、閉院となりました。
 再建のため故小泉博院長の実弟である小泉潔氏(当時日本医科大学呼吸器外科教授)の妻で日本医科大学千葉北総病院精神科に在籍していた小泉幸子氏は、非常勤医としても盛岡精神病院で診療していた関係から他スタッフと協力して患者さんの安全と安心を担保してきました。そして平成17年7月1日(2005)、盛岡観山荘病院として小泉幸子院長以下新たな体制で新規開業となりました。患者さんの安全・安心を目標にスタッフ一同精進し、平成22年(2010)、「みやま会盛岡観山荘病院」として医療法人化したのち、精神科急性期治療病棟を立ち上げ社会状況の変化に対応するべく精神科医療に貢献してきました。平成25年(2013)には精神科救急分野での実績により社会医療法人を認可され、さらなる社会貢献を目指して現在に至っております。
 昭和26年(1951)に岩手県下で二番目となる精神科病院を開設した小泉八郎氏以来、粛々と地域精神科医療に邁進し、爾来67年の歴史を刻んでおります。今後も盛岡観山荘病院は、入院・外来患者さんのための環境整備とともに、患者さんの社会復帰を支援し、地域精神科医療の一翼を担うべくチーム一丸となって弛まぬ努力を続けてまいります。